ITエンジニアと明治の『職人』

「竹田米吉 『職人』」

以前に買った本の中に、「竹田米吉 『職人』 中公文庫 1991年」がある。

著者の竹田米吉は、明治中期に大工の息子として生を受け、後に苦学して早稲田大学建築科の第一期生となった人物だ。

つまり、職人としての大工から身を起こして、建築をアカデミックに学んだという事になる。建築業界において、職人修行と体系的な建築学の双方を学んだという経歴の持ち主が多いか少ないかは不勉強にして知らないが、少なくとも江戸時代より続く職人の気風というものを備えつつ建築家として立った人物は、そう居ないのではないかと思う。少なくとも、江戸時代の職人である父親や親戚から、多くの薫陶を受けたことは、『職人』の中で語られている。

さて、この本の中で語られている大工の心得のうち、心に引っ掛かるものを自らの身と引き比べて行きたい。

仕事と良心

昔の職人とは、今日の技能者の謂である。長い修業のたまものとして、素人には及びもつかない技能と、専門知識を身につけている。だから、そこには専門家としての誇りがあり、責任感があった。

今の自分に備わるスキルが、「素人には及びもつかない技能と、専門知識」とまで胸を張って呼べるものかどうか、正直なところ自信が無い。だがそれ以上に、専門家としての誇りと責任感を自らに課しているだろうか。

この後に続いて、当時の大工は腕の未熟と仕事を怠けることを非常な恥辱とし、自らが職人として成すべき正当な仕事とその分量を必ず成し遂げるべきミッションとして自らに課していたことも述べられている。

プロフェッショナルとしての『土方』

大工の棟梁が江戸城と大名屋敷との関係で神田に集まったように、関東の土工の親方の多くは、利根川の水防工事のために、その沿岸に発生したものらしい。だから当時有名な土工の身内(中略)の名は、利根川沿岸の村や字の名を冠する身内が関東の土工には多かった。

ここでの『土方』とは、建築ではなく土木工事を請け負う職人である。気性が荒く、中には無頼の行為を働くものさえ居たと描かれている。

仕事を専門にする土工をわざわざ『実業家』と渾名するほどである。一宿一飯を求めて各地の工事場を渡り歩く『奔走屋』、工事場へ「奉願帳」なる帳面を持ち込んでは土工以外の親方などに金銭を強要して回る無頼漢も居たという。

何せ工事場を勝手に飛び出しては(これを「飛びっちょ」と呼んだ)、別の工事場に「お控えなさい」と仁義を切ればそれで受け入れられると言うのだからすさまじい。

一方で彼らも確固たる専門家であったことが語られている。

働く土工はまったく専門的で、今日の人夫とは全然趣を異にしていた。すなわち土工の仕事はただの人夫にはできなかったのだ。

当時の土方は、大三尺というから1m四方のもっこに山盛りの土を詰めて軽々と運び、コンクリート作業でもセメント樽を七割ほどの高さに切った七分樽に山盛りのセメントを両の肩に1つずつ、計2樽運んだという。

つまりは重機の無い時代において、強力と運搬の専門技能を売りにしていたのである。

また、コンクリートを練り、流し込み、均すのも土方の作業であった。

こうなってくると、「土方」という言葉をおいそれと自虐の語として使い難いものがある。

「曖昧」な建築家たち

建築現場の技術者の経験くらい曖昧なものはないということを、かねてから聞いていた。苫小牧の建築の技術係は、その曖昧な技術家の集まりであった。
現場に何年働いたという触込みで、使ってみると、なんにも知らないという男が多いのだ。何年働いたということが曖昧ではなくとも、仕事が曖昧なのである。

竹田米吉が大王製紙の苫小牧工場建設の為に向かった先で、岩室主任という技術者に遭遇する。この岩室主任というのが技術者に於けるアンチパターンの典型のような人物なので、自戒を込めて記すこととする。

岩室主任は皇宮御造営の建築係から大倉組に勤めたという経歴三十数年のベテランで、日本建築の素養深い技術者であった。

しかし、細かいところを他人に任せて現場を渡ってきた人物らしく、神経をすり減らすほどに現場で心を配った経験が無い。彼を、竹田米吉は、「本当の意味で役に立たない」人物であると評した。現場で発生する問題、例えば煉瓦の積み上げやセメントの配合といった現実的なノウハウを十分理解しておらず、ただ職人任せにするだけの人物であった。

しかも、新しい事を吸収する意欲を持たない上に、物分りの悪い男だと思われるのを嫌うという悪癖があった。厳格に技術的な監督を行えば、知識の不足や職人との衝突との両面から「わからない人」と呼ばれかねない。これを最も嫌うために技術的に深入りをしない。そのツケは竹田米吉のような技術の分かる技術者が払う羽目に陥る。

その他にも何人かの建築家を雇いはしたが、技術の実際を理解しないまま、上っ面で現場を立ち回ってきた技術者ばかりであった。

彼らに対する呆れと怒りの言葉が、我々の背中に刺さらないとどうして言えよう。

何年建築に従事しても、その勤め先なり指導者なりによって、真実の経験を持たない限り、ただ、歳月を無駄に食いつぶしたに過ぎないであろうと。

無論、100年前の建築業界と、現在のIT業界を単純に比較できるものではないことは承知の上である。ただ、己の技術に文字通り命を賭けていた人の記すことばに、わが身と引き比べて引っ掛かることが余りに多いのである。

その他にも、江戸の職人の気風を偲ぶことができ、またIT業界の現状や先行きを考える上でも得るところの多い好著だと思う。お暇があれば一読を。

追記:
試しにAmazonアソシエイトを貼っ付けてみたところ、どうも中古書ばかりらしい。古本屋を散歩がてら探し回るのも手かも知れない。

職人 (中公文庫)
職人 (中公文庫)